2016.05.11 Dave Kai Piper

Dave Kai Piperが語るXシリーズとの5年間

人間は、全員同じ世界で共存するが、物の捉え方は人それぞれだ。見え方や聞こえ方も一人ひとり違う。内面に秘めた感情や想いを説明するために我々は「もの」を創りだす。歌う人もいれば、絵を画く人もいる。踊る人もいれば、ビジュアルで表現する人もいる。カメラを使って表現する者たちは写真家と呼ばれる。

X-Pro1

初めてX-Pro1を手にした時、このカメラが好きになると確信した。スナップショットに便利でクールなカメラが見つからなくてうんざりして、iPhoneで写真を撮るような写真家にはなりたくなかった時に、このカメラの外観とスタイルが私の目に留まったのだ。北アフリカ、ワシントン、ニューヨークへ旅立つ予定を立てていて、ちゃんとした写真が撮れるカメラが欲しかった。X100でもよかったのかもしれないが、X-Pro1だと3本のレンズを使い分けできるのが魅力的だった。18mmと60mmそして今でもよく使う35mmF1.4の3本だ。写真家は、旅に持っていく機材を選びきれず、毎度荷物が膨大になってしまう。この時私は、D800とサブ機を1台。それとレンズだけが埋め尽くされたバッグを1つを用意して、渡航先へ出発する前に送った。正直なところを言うとフジのカメラは移動中の飛行機と散歩に出るとき以外は使う予定はなかったのだ。だが、事実は異なった。この日以来、フジのカメラで写真を撮らなかった日はないのだから。仕事でもプライベートでも。私の場合、画質が決め手ではなかった。それよりも、カメラボディの形に魅了された。私の撮影スタイルに変化をもたらしてくれた。このカメラを使うと構えずに楽しく撮影に取り組むことができる。

X-T1

それから数年後、X-Pro1も使いつつ、X-T1でも撮影するようになっていた。X-T1は素晴らしいカメラだ。だけど、X-Pro1ではない。「このカメラも好きだけど、X-Pro1のほうがもっと好き」とX-T1を初めて試した時に感じたのを覚えている。その当時は、まだD800もフジのカメラと一緒に使っていた、Richard Wanと駅で会うまでは。駅で会った時彼は、黒い箱に入ったX-Pro2を私に渡してくれた。その日以来、X-Pro2だけで撮影をしている。10月以降ニコンで1枚も写真を撮っていない。

X-Pro2

考え方によっては、X-Pro1からX-Pro2への変化は大きくない。新しいコンセプトのカメラでもなければ、デザインも非常に似ている。だが、操作性はすごく向上している。撮影スタイルは同じだが片手ですべてできる。細かいところでチューニングされている。カメラのレスポンスも撮影者の動作と息がぴったりと合う。EVFとハイブリッドビューファインダーからのビューは素晴らしく、クリエイティブになる。高感度とフォーカス性能はもう心配事として考えなくていい。5年前は、ISO5000で撮影するのは最終手段だった。だが、あえてこの設定でライブ中のバンドを撮影したのはほんの数日前の出来事だ。

X-Pro2の根底にはX-Pro1、そしてXシリーズのカメラ全てに受け継がれている思想があると私は考える。富士フイルムは、撮影プロセスにあるさまざまな障害物を取り払い、撮影者に力を与えようとしてくれていると感じる。X-Pro2は、その過程でもっとも進化したカメラであり、小さくてコンパクトなシステムながらプロのニーズにも応えるカメラだ。あらゆる意味でこのカメラは一歩先を進んでいる。だが、過去の資産や伝統を継承してくれていることが喜ばしい。富士フイルムは、顔の見えない会社ではない。もしかしたら、私が交流を持つイギリスの社員がそう感じさせてくれるのかもしれない。ただし、世界各国の写真家と話すとやっぱり、何かがあると感じる。フジのカメラで撮影すると気持ちが良い。なぜなのか?そのマジックは私には見当もつかない。だからこそマジックなのかもしれないが。