2016.05.11 Charlene Winfred

Charlene Winfredが語るXシリーズの旅

Charlene Winfred

飛行機や電車、車の写真を数多く取る。ノーマッド・ライフの副産物だ。
シンガポールで生まれ育ち、その後15年間オーストラリアで暮らした。2013年に持ち歩きできないものをすべて売り払い、旅人になることを決意。そうすることで、カメラを片手に世界各都市を旅することができるからだ。私は大概狭間にいる。文化や、人種、国籍など様々な視点から見ても。1つのことに執着することはない。アイデンティティが常に変化することをとても興味深く思うし、その変化によって人々の価値観が変わることにとても興味を覚える。
撮影の仕事の多くは、ライブイベントやポートレート。ビデオ撮影はプロモーション関係やドキュメンタリーが多い。静止画も動画もXシリーズのカメラとレンズだけで撮影をする。

X-Pro1との出会いは、私を取り巻く環境が急変していた時。
2011年も終わろうとしていた頃、首を痛めて良くなるどころかカメラ(その当時は一眼レフ)を持ち歩くのも数分で苦痛になるほど状態はどんどんと悪化していった。どうにかしなければ撮影を続けることはできないと思っていた頃だ。
富士フイルムが、ちょうどその頃X-Pro1を発表した。コンパクトで軽くて、暗い環境でも高画質を約束するカメラであると。このカメラなら撮影できると思えたし、デザインも良かった。なので2012年の中ごろ、XF35mmF1.4 RのレンズとともにX-Pro1を購入することにした。

早速使ってみたところ、このカメラはとにかく遅かった。カメみたいにゆっくり動く。電源オンオフの動作も、シャッター切るのも遅い。フォーカスについては・・・・オートフォーカスが搭載されているという噂は聞いたことがある。しかしながら、撮れた写真は素晴らしかった。感度をISO6400まで上げてもノイズがでない。その当時、頻繁に夜間の撮影をしていたので、高感度の画質は特に重要だった。

シャッターチャンスを逃した回数は数えきれない。特に最初の頃は。だけど、それは撮影のスキルアップするきっかけとなったし、撮影する画のことをしっかりと考えるきっかけをくれた。シャッター音も心地よかった。以前に使っていたニコンみたいな銃声音な感じではなく、枝を折った感じの軽快な音だ。体も辛くなくなったし、撮影自体が楽しくなった。カメラを手に収めたときの感じがとてもよく、撮影しても人々に武器を向けているように感じなくなった。色々な制約はあったカメラだったが使いこなすと、カメラを使っているということさえも忘れてしまうようにしっくりときたのだった。

X-Pro1を手にしてから6か月後、14年間の時をすごしたオーストラリアから旅立った。(私はシンガポール生まれ。)サバーバンな生活にうんざりしていた。ルーティンをこなすだけの9時-5時の仕事と定期的に決められた額が振り込まれる給料に希望を持てなかった。不変的な生活から離れて、旅人になることを決意したのだ。

旅人として、まず今まで訪れたこともない場所で今まで見た事のないものを撮影した。アメリカ・テキサス州にある自然や、ワシントンDCのストリート、コペンハーゲンの音楽シーンなど。メキシコでは自然もストリートも音楽シーンもすべて撮影した。全てのシーンで万能でないこのカメラは、この旅を通じてその都度どう対処すればよいか柔軟に対応できるように教えてくれた。

慣れ親しんだ環境から離れた私にとってX-Pro1は、ぴったりのパートナーだった。安定した生活ではない。あらゆる場面で柔軟な対応を迫るこのカメラは私にしっくりきたのだ。

X-E2を手にしたのは2014年。北半球の夏頃だ。Fujifilm Nordicが貸出してくれた。もうその頃にはX-Pro1に慣れすぎてしまっていて、新しいカメラの反応の速さ、進化に驚かされた。自分自身を調整しなければならなかった。

調整はそんなに時間はかからなかった。X-TransIIのセンサーが創りだす画が大好きだったし、高感度撮影も良かった。ISO6400でもクリアな画質だ。しかも、X-E2はX-Pro1よりもサイズはさらに小さくなったし軽くもなった。自分用にオーダーメイドされたかのように持ち心地も抜群だ。しかも、X-Pro1よりも控えめだ。X-E2は、いまでも一番のお気に入りのカメラだ。

2015年にX-E2からX-T1へと切り替えた。主にデザイン的なところで、あまりこのカメラには関心がなかった。使い慣れるのも時間がかかった。このカメラは私のような写真家のために作られたカメラではないのだろう。

X-T1は自己主張が強いカメラだ。Xシリーズのパワフルなカメラを手に持っていると意識が向く。ファームウエアの更新でカメラはさらに早くなり、機能も充実化された。
他のXシリーズのカメラよりもX-T1の撮影は不慣れだ。しかし、「動画」という新しいジャンルを切り開いてくれた。このカメラでなければ試そうと思わないだろう。

X-T1は新しい方向性を示してくれ、撮影を楽にしてくれた。(例えば、マニュアルフォーカスをする機会はほとんどなくなった。)しかしながら、X-Pro/Eシリーズのことが忘れられなかった。私の手の中から消えてしまったのが寂しかった。

X-Pro2の登場を首を長くして待っていた。物理的に変わってしまったところもある。ISOダイヤルやジョイスティックなど。しかし、旧友と再会したような感じだった。X-TransIIIセンサーの性能にも度肝を抜かれた。ISO12800まで常用撮影可能になっているし、新しいシャッターはまるで神経の延長上にあるみたいだ。

後継機としてX-Pro1の面影がしっかりと残っているのがたまらなくうれしい。箱からカメラを出した瞬間にすぐに感じ取れた。カメラの使い方もすぐに分かったし、4年ぶりにホームに舞い戻ったようだった。

短い期間のなかでXシリーズはたくさんの事を成し遂げてきた。Xシリーズとともに歩んでこれたことは、私にとっても貴重な体験で学ぶことも多かった。これからの5年間も、富士フイルムには今までと同じでいてほしい。新技術を開発し、新しいカメラを発表して、写真家が新たな挑戦できるようにサポートしてほしい。