António Homem Cardoso (Portugal)

1945年、サンペドロドスル生まれ。人生のすべてを愛する仕事に捧げている。 サンペドロドスルで10年過ごした後、リスボンに移った。14歳のとき、俳優のエディ・コンスタンティーヌに影響され、フォクトレンダー ビトーBを手にした。これがカメラとの最初の出会いである。
そして彼は、パブやファドハウス※1において自由なスタイルで撮影を楽しむと同時に、プレスや"Diário de Notícias" 、"Diário Popular"といったポルトガルの新聞紙に作品を掲載した。 17歳で、クインタデSヴィンセントにラボを開設した。ここは、彼が写真家として多くの時間を過ごした場所であり、その後長い付き合いとなる有名な写真家と出会った場所でもある。 66~68年の間は兵役に服し、写真と映画の研究も修了した。
1968年、家族以外で最も尊敬し、彼のキャリアに多大な影響を与えたMestre Augusto Cabritaと出会い、世界で40万部以上の売上を記録した"Cozinha Tradicional Portuguesa"にも参加した。 雑誌"Observador"にも参加し、アフリカで重要な写真記者活動を行った。 1970年代初頭、ラパとリスボンに写真スタジオを開設し、広告、ファッション、新聞向けの写真活動を開始した。1974年から今日に至るまで、ポルトガルの民主化活動の様子を収めた写真家として名を馳せた。1980年、ポルトガルの文化遺産の展示・保護を目的としてHélder Caritaと協同し、いくつかの書籍を出版した。中でも、"Tratado da Grandeza dos Jardins em Portugal"はフランスの雑誌「Vogue」に芸術分野での突出した作品として紹介された。 彼は俳優としてFernando Lopes 監督の"O Fio do Horizonte"に出演し、Claude Brasseurと共演したこともある。彼の出版物は60冊以上に及び、その中には今でも増刷されているものもある。彼は最初の活動として"Foto"や" Super Foto Prática"といった重要なフォトビジネス雑誌のディレクターを務め、その他にも多くの出版物のディレクターとして活動している。 彼はAmália Rodrigues(有名なファドシンガー)、政治家やロイヤルハウスの公式カメラマンなど強い関係を結んでいる相手について情熱的な文章を書く。なんといっても、António Homem Cardosoは自らコンテストに応募したことは無く、すべての受賞や表彰は彼の仕事に対して特別に贈られたものである。 ※1 ファドとは、悲しげな歌詞とメロディが特徴のポルトガル民謡である。しばしば、海や貧しい人々について唄われ、諦め、運命、憂鬱な感情に満ちている。

使用機材

  • X-Pro2
  • X-T1
  • X-E2
  • X100T
  • XF56mmF1.2 R
  • XF10-24mmF4 R OIS
  • XF16-55mmF2.8 R LM WR
  • XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS
  • XF55-200mmF3.5-4.8 R LM OIS
  • XF100-400mmF4.5-5.6 R LM OIS WR

ギャラリー