2016.05.10 Bernd Ritschel

Bernd Ritschelが語るXシリーズの魅力

Bernd Ritschel

1963年 ドイツ バイエルン州(北部の都市 ヴォルフラーツハウゼン)生まれ。
25年間で世界各国の大陸を旅し、ヒマラヤ、アラスカ、アンデス、北極など7000mを超える山々を制覇。この挑戦的な登山家は今では世界で成功を収めるプロ写真家となった。
Skitransalp (2009) や Dolomites Cross (2010)は彼のアルプスに対する情熱をかつて無いほどに刺激した。現在はコッヘルアムゼーで、長年、妻のManuela、娘のClarissaと共に暮らしている。
「25年以上にわたり、私にとってカメラは登山の必需品である。最初は、旅行や探検を記録する目的での撮影だったが、その後、宣伝用の写真を撮影して収入につなげるという新しい分野に挑戦してみた。それでも、やはり「光の当たる山々」は私の写真活動の大部分を占めていた。心は常に雄大で感動的なアルプスの名峰に魅了され、初心へと戻っていった」
80回を越える旅で65カ国を訪れ、地球上のほとんど全ての山を見てきた。そして、20冊の写真集、5冊のテキスト/ガイド、数多くのカレンダー、ドイツ語の主要雑誌のほとんど全ての出版物で公開された。彼の写真はGeo, Stern, Geo Saison, Abenteuer & Reisen, ADAC specialといった著名な雑誌をはじめ、ヨーロッパのほぼ全てのスキー・山岳雑誌に掲載されてきた。また、中央ヨーロッパの展示会にも多数出展経験があり、Bernd Ritschelは現在、中央ヨーロッパで最も有名な山岳・ドキュメンタリー写真家であるといえる。

シーンその1 -2011年春-

手短に話そう。2011年春までは、標準ズームレンズを装着した重いデジタル一眼レフをアルパインクライミングに持ち出していた。2010年のフォトキナで、ようやくもう一つの選択肢が生まれ、写真の世界が変わろうとしていた。富士フイルムが、革命を起こそうとしていた。多くの写真家にとって、富士フイルムは伝説的なスライドフィルム「ベルビア」でなじみのある会社だった。私の周りにいる写真家たちは、X100の話題で持ちきりで、その多くがこのカメラを購入した。ハイブリッドビューファインダーと信じられないくらいの高画質に興奮した当時のことを覚えている。
X100は、私にとって良いタイミング登場してくれた。20年以上も登山と写真を続けており、背中と肩の痛みが限界に来ていた。2011年夏、仲の良い友人Franz ForsterとStockhorn-Bietschhornを登る計画を立てていた。このプロジェクトは、あの有名なアイガー北壁よりも長くて険しい。大きなデジタル一眼レフを持っていくことは現実的ではなかった。X100は、単焦点なので焦点距離の制約はあったものの、この3日間にわたるプロジェクトを成功させるには、最適なカメラだと私は考えた。登山にむけて、狂ったようにトレーニングをして、8月の上旬には、すでに気分は舞い上がっていた。悪天候と、実力不足なところもあり、残念ながら登山は成功しなかった。だが、その時に撮れた写真は、National Geographic誌の”Wilde Alpen”プロジェクトには欠かせないものばかりだった。出版された本とイベントで活用されることになった。

シーンその2 -2012年1月-

それ以来、X100は登山するときの相棒だ。そして、2012年の冬、X-Pro1が発表された。とうとうXシリーズをシステムとして構築することができる。Xシリーズの魅力がさらに高まった。さらに、この当時、私にとって夢のようなプロジェクトのオファーが届いていた。8000m級の山々を登る有名な登山家Gerlinde Kaltenbrunnerと夫のRalf Dujmovitsと一緒にエベレスト山脈へ向かい、標高6119メートルのLobuche Eastの登山を撮影するプロジェクトだ。
しかし、同時に疑念も抱いていた。クライアントのGore TexとLowaからの依頼では、これまでフルサイズのカメラを常に使用していた。APS-Cのカメラで納得してくれるのだろうか?しかも、それが誕生して間もないシステムだということに、文句は言わないのだろうか?
最終的に現実的な決断をした。2つのシステムを持っていくことにしたのだ。若くて元気なアシスタントもいたし、彼も、なにかしら仕事があったほうが嬉しかっただろう・・・
その数週間後、ナムチェバザールから登った峰にいた。高山病にかかり、気分は冴えない。息切れも激しい。小さなカメラバッグには、18mmのレンズを付けたX-Pro1と、35mm、60mmのレンズが入っている。疲れ切っていたが、良い写真が撮れた。標高3700mのところを長時間にわたりハイキングする時は、スピードが重要だ。写真家のために、気を使い動き回ってくれる登山家なんていない。X-Pro1で撮影すると、驚くほど身軽に動けた。アシスタントに「大きな」カメラを用意するように指示することはほとんどなかった。このプロジェクトで得た経験が、これからの仕事のスタイルのベースとなった。X-Pro1を使うと、一瞬の出来事を捉えることができ、そのおかげでとても良い写真が残る。フルサイズのカメラは、ステージングされた撮影のときにしか使うことはなくなった。
Lobucheを登った時、「小さな」カメラに感謝をした。雪で覆われた岩や激しい地形の登山は、とても厳しい。軽量なカメラを携帯していることがとてもありがたかった。
撮影結果は次の通り。カタログや雑誌の見開き用に使う写真であったとしても、全く問題ない。クライアントも編集者も全員、富士フイルムの画質に満足したのだ。

シーンその3 -2014年春-

Xシリーズのカメラに、不満はなかった。だが、良いことは続けて起きる。X-T1の登場だ。当然ながら、私もその新しいカメラを試してみたくなる。アルプスのエッツタールを登るのなんてどうだろうか?連写8コマ/秒は、十分なスペックだ。AFも新しくなった。マウンテンバイカーで旧友のAndiとともにGrieskogelへ向かうことにした。朝3時に出発。薄暗い中、ヘッドライトを照らしながら登山を開始する。山頂は、雪と氷の一面だった。岩や登山用の鉄ケーブルなどすべて雪と氷で覆い尽くされていた。頭がくらくらしながらも日が昇る中、写真を撮っていた。その場所は、数多くの山々に囲まれていた。南側には、標高3700メートルのWildspitzeが見える。ありとあらゆる場所で、Andiの写真を撮った。峰や山頂、南側にある急な絶壁など。1時間ほど撮影して、休憩をした後に下山した。標高が下がってくると元気になってくる。
Hochsöldenへ戻ると、Andiは着替え、乗り物を交換した。これからは、ファーストアクションスポーツ撮影の時間だ。美しい景色を背中に、Andiが細い道を駆け巡る。私は興奮した。この新しいカメラは、動きをしっかりととらえてくれる。

最終シーン -2015年秋-

配達員が、インターホンを鳴らす。待ちに待った荷物が届いたのだ。急いでオフィスへ向かい、荷物を開ける。「極秘アイテム」を手に取る。そう、X-Pro2のプロトタイプだ。これからこのカメラを試することになるが、撮影する以前にそのデザインと手に取った質感で、プロ用のカメラであることを確信した。
チロル地方のObergurglの天気をネットで調べて見る。これからの数日間、雲一つない朝が来ると予報されていた。計画をすぐに立てた。Wurmkogelの頂上から見る日の出を撮りたかった。それは、アルパインクライミングを意味する。LenggriesのTobi Heissに撮影の同行しないか電話を手に取る。良い返事がもらえたことで少し安心をした。それから早速、登山の準備に取り掛かる。いつもよりも用意周到にした。とても危険な登山が待っているからだ。3本のロープ、アイスクライミング用のギア、アイゼン、スリング、カラビナ、登高器、ヘッドライト、ダウンジャケット、そして暖かいブーツ。これから極寒の環境へと向かうのだ。
その日の夜、興奮しながら撮影のスタート地点であるObergurglへと向かった。真夜中になる少し前、少しの間だけ寝袋に入り体を温める。4時に目覚まし時計が鳴り、暖かいお茶を飲み、暖かい登山用のギアに着替え、ヘッドライトを装着して出発した。予定通りに、標高3000メートルのWurmkogel山頂には、日の出頃に到着した。気温はマイナス18度。凍りつくような指で、ロープをセットする。X-Pro2のシャッター音が鳴り響く。この時は、3本の単焦点レンズしか使わなかった。14mm、23mm、そして56mmだ。
800枚ほど撮影しただろう。この、ファンタスティックな光の下、何回もレンズを交換して、バッテリーも入れ替え、暖かいお茶を飲んだ。とても忘れられない経験だ。
このカメラは、とても良くできていてプロフェッショナルな道具である。

今現在 -2016年春-

この記事が、FUJIFILM-X.comに掲載される頃、私はアシスタントのChristain Speerと一緒に、ネバダ州のRed Rocksにいるだろう。”Making of”の動画を1週間ほど撮影して、私の新しい出版物用に撮影をする。そして、この旅の最後の数日間は、我々がもっとも楽しみにしているイベントが待っている。2人で登山を楽しむのだ。多くのカメラ機材はホテルへ置いていく予定だ。X100Tだけを持っていく。登山と写真という私の大好きな2つを純粋に楽しむことができる。

最後に、富士フイルムに感謝の気持ちを伝えたい。まずは、イノベーティブなカメラを作ろうとした勇気に。そして、プロフェッショナルな製品とサポートを我々写真家に提供してくれることに。これは、決して誰にも真似はできない。これからもよろしく!