2022.12.13

X-T5 x 古性 のち

こうあって欲しい世界を私に魅せてくれる高画質のカメラ「X-T5」のこと

日々にカメラがなければ駄目になってしまったのはいつの頃からだろう。

気づけばいつもFUJIFILMのカメラが当たり前にそこにあって、頭で考えるよりも早く手が伸び、お財布と家の鍵の次に鞄に忍ばせる、お出かけの相棒になっていた。
「古性さんらしく撮ってもらえたら」と渡されたX-T5は、初めましてのはずなのに何だか懐かしかった。
自分で写真に味付けをするためのダイヤルや、握った時手にしっくりと馴染むグリップの感じ、見た目も、わたしの大好きなX-T3とよく似ているからだと思う。

「私の写真地味なんですけど大丈夫ですか」と聞くと、それが良いんですと朗らかに笑う顔を見て安心してしまい、今回本当にいつも通りシャッターを気ままに切ってしまいました。

親しい友人たちを、
お散歩の途中で目があった蜘蛛の巣を、
波の形を、空の色を、
影を光を緑を。
自分が感じた想いごと慎重に掬い取り、おさめていく。

道端の木漏れ日の中にひっそりと咲く花。風に揺れ心地よさそうだった
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

細部まで美しい建物の中に溶け込めるしあわせ
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

いつもの道、いつもの空、遠くには海
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

夜へと向かい、表情を少しずつ変えていく空。
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

友人の耳元で揺れるイヤリング。昔から連れ添っているパートナーのように、よく似合っていた
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

何枚かシャッター切ってみてファインダー越しの世界が美しくて驚いた。センサーの解像度が上がった、と聞いていたけれど実感値としてここまで感じられるなんて。

今まで撮影時、気になって何度も確認していたバッテリーの持ちも十分。
軽い荷物で安心して遠出ができるし、撮ることに集中できる。

愛用のフィルムシミュレーション「クラシッククローム」のフィルターがかかった世界は私が「こうあってほしい」と望んでいる色に染まっていて、心が震えた。気づけば夢中でシャッターを切っていた。

今回X-Tシリーズに新しく仲間入りした「ノスタルジックネガ」のフィルターの世界も、クラシックモノクロームから浮気をしてしまおうか、と思うほど美しい世界を魅せてくれた。ここは彩度をもう少し残したいな、と思う箇所をきちんと据え置いてくれる。
何枚かお気に入りの写真はできたけれどやっぱり最後はクラシッククロームに戻ってきてしまうのは、私が頑固だからなのか、はたまたすっかり相思相愛になってしまったからなのか。

おはよう世界。お祭りが終わり静かな朝の時間に。
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

ころんと丸いドーナツはいくつになってもご馳走
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

こんな窓が部屋にほしいといつも妄想してしまう
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

自然が織りなすグラデーション。敵わないなあ。
X-T5 & XF70-300mmF4-5.6 R LM OIS WR

我先にと背を伸ばす花達。人気者の太陽。
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

しゅわしゅわとソーダのように爽快な海
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

生まれたばかりの葉にご挨拶を。
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

刻一刻と変化していく光と影の模様。
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

時間が止まったような小道にて。
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

一日の終わりのまさにご褒美
X-T5 & XF70-300mmF4-5.6 R LM OIS WR

誰もいない船の中はなんだか遭難してしまった宇宙船のようだ
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

柔らかな風が撫でる海岸線沿いをあるく
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

とても複雑に編まれた蜘蛛の家。どんな性格の家主なのだろう
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

赤白青のコントラストが心地よい
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

壁に当たる光。触れたらふわふわと柔らかそう
X-T5 & XF23mmF1.4 R LM WR

私の生まれた時代に写真という文化があって、誰でも手軽にそれを撮れる選択肢があって。X-T5を触っていると、そんな事に改めて感謝したくなる。

私にとってX-T5は自然と対話したり、いつもの暮らしの愛しさを再認識するための手段のひとつであって、この地球に生きていることを、そして日々が当たり前ではなく奇跡の連続で成り立っていることを忘れないための道具なのかもしれない。