2018.06.27 Tsutomu Endo

北限を歩く 遠藤励

Tsutomu Endo

スケーター・スノーボーダーとして日本アルプスの麓、安曇野に育つ。90年代よりスノーボードカルチャーにフォーカスし、写真家としてのキャリアをスタート。スノーボードフォトグラフィーをライフワークとしながらアート表現の探求やネイチャー、カルチャーなど躍動するこの星の輝きと命との調和を求めて旅を重ねている。作品集に18年間のボードヒストリーとライフを描いた「inner focus」(小学館)がある。

もう何度時計を見ただろうか、寝袋の中で震えて小さくなりながら朝を待つ。昨日までの風は止み、外は静まりかえっている。ようやく時計の針が5:00AMに指しかかると僕は寝袋から手だけを伸ばし携帯型のガスコンロを取り出す。小さく砕いた氷河の塊をコッヘルに入れると火にかけ、湯が沸くのを待った。

5月に入ったというのにここ数日はやけに寒さが厳しい。霜が降りたように内側まで白く凍りついたテントの中で、沸騰したお湯を慎重にドリッパーに注ぐ。寒さのせいだろう、普段あまり食べることのない甘いものを無性に欲する。砂糖のたっぷり効いたクッキーを、ドリップしたコーヒーと一緒に頬張った。ホッとため息を吐いた後に訪れる静寂。

狭い室内にはカメラの他には必要最低限の物だけが存在し、まるで自分の歩んでいる人生がそこに凝縮されているかのようにも見える。手元の水筒から立ち昇る湯気をぼんやりと眺めているとコーヒーと糖分が体を巡り、じわりと温まってくるのが感じられた。山の陰に隠れていた太陽が顔を覗かせ、ようやくテントにも陽が射し始めた。
写真にとって重要な要素でもある太陽はこの旅を支える唯一の友でもあった。それまでの虚無感を陽の光が追い払うかのように穏やかな気持ちが満ちてきた。緊張も解れたせいだろう、眠気が押し寄せ僕は再び寝袋の中に吸い込まれるように眠りに落ちた。
北緯77°、白夜の始まりかけたグリーンランド北部。写真を撮るという行為が1日というサイクルを生み出し、この大地とそこに訪れた自分の存在を成立させているように思えた。目の前には広大な海氷と夏の間に閉じ込められた氷山が点在し、その一つ一つが長い年月の中で地球が創り出した彫刻のようでもある。

遠くに見える氷山を目指して今日も海氷上をゆく。-20℃の気温に氷床から時折吹き下す冷たい風は容赦無く体力を奪う。この厳しく広大な自然を歩く中で多くの撮影をGF250mmF4に頼ることとなった。どちらかといえば自分は三脚を使った撮影はあまり好まない。写真は撮影者の想像を超えるものが写し出されることがある。そんな機会に巡り合うためにも、もっと自由に・もっと遠くへと歩みを進める。そして豊かな色再現とその驚くほどの高い解像力はこの大地の息づかいさえも写し撮るかのように自然写真を新たなステージへと導くのだ。

冷えきった北限の雪は鳴き砂のように「キュッ、キュッ」と歩を進める度に心地よい音を奏でる。時折シャッターを切りながら、歩き始めてから4時間以上が経ったが周囲の景色はさほど変わることはなく、白く広がる海氷の中に自分だけがポツンと立っているのだ。深夜にかけて次第に太陽は傾き、辺りは幻想的な光に包まれた。それまで見ていた氷山も陰影が増し、先程までとは違う表情を見せ始めた。僕は再びカメラを取り出すと夢中でシャッターを切った。