GFX100S II:Portrait x Amrit Grewal

2024.06.05

控えめな始まりから今この瞬間まで

私の写真撮影の旅は、2006年に初めてデジタル一眼レフカメラを購入し、旅先やブリティッシュコロンビア州バンクーバーの美しさを捉えたいと思ったときに始まりました。フルタイムで働いていましたが、YouTubeやポッドキャストなどのオンラインリソースを活用し、カメラに専念しました。個人的な課題が山積する中、時間を超越した写真の価値に安らぎを見出し、時が経つにつれてその価値が増していきました。写真が与える感情的な影響を理解し、私は他の人たちが記憶を振り返る手助けをするためにこの旅に乗り出しました。

スキルを磨き、作品をオンラインで公開するうちに、徐々にチャンスが巡ってきました。小さな家族の撮影から始まり、プロジェクトは規模を拡大していきました。転機となったのは2009年に初めてウェディング撮影の契約をしたときで、これがきっかけでアムリット・フォトグラフィーが誕生しました。引っ込み思案な性格なので、最初はウェディング撮影にためらいを感じていましたが、次第にウェディングの美しさと意義を理解するようになりました。Facebookや後にInstagramなどのプラットフォームを利用して、デジタルポートフォリオをまとめ、これによって広く知られるようになり問い合わせも増えました。私は2015年までにフルタイムの写真家に転向し、写真家としての仕事に専念するようになりました。

当初、私の旅は、高級ウェディング業界に南アジアの代表者がいなかったことが特徴でしたが、時折差別を受けることがありました。このような困難にもかかわらず私は辛抱し、当初は南アジアのウェディング写真家のことを見過ごしていた業界で、自分自身およびアムリット・フォトグラフィーのニッチな地位を確立しました。

現在、私は世界中の一流雑誌やブログでとりわけ南アジアのウェディングを紹介することを誇りに思い、あらゆる文化や伝統の認識と称賛に貢献しています。この旅は個人的な成功以上のものでした。ウェディング写真業界における障壁を打ち破り、多様性を促進しました。

世界中を旅して、さまざまな愛の形を撮影する機会が得られたことに感謝しています。目的地、カップル、セレモニーのそれぞれにおいて、私は愛についての理解を深め、仕事への取り組みは強くなります。親密なセレモニーから盛大なパーティーに至るまで、私の目標はいつも、時を超え、撮影したその日と同じ感情や懐かしさを何年も経ってから呼び起こす写真を撮影することでした。

カメラの知識を継続的に学ぶことは不可欠で、進化するテクノロジーを受け入れることも同様です。最近、ブライダルの朝の撮影に撮影条件が類似したポートレートセッションで、富士フイルムGFX100S IIカメラとGF55mmF1.7 R WRレンズを試写しました。

GFX100S IIによって生成される画質は、まさに現実とは思えないほど素晴らしく、カメラから出力されるファイルは驚くほどクリーンでディテールまで描写されています。サリーの繊細なレースも、花嫁の顔の微妙な表情も、GFX100S IIの1億200万画素のラージフォーマットセンサーと鮮やかなカラーサイエンスが驚くほど素晴らしい結果をもたらしました。その直観的なデザインと耐候性により使いやすさが向上し、高速起動により一瞬たりとも逃しません。カメラのグリップは手袋のようにフィットし、快適で安定感があります。この人間工学に基づいたデザインにより疲労が軽減され、特に長時間の撮影セッション中には重要となります。GF55mmF1.7 R WRレンズはカメラのよさを完璧に引き立て、圧倒的な被写界深度と鮮明さでディテールを捉えます。焦点距離が55mm(フルサイズ換算で44mm相当)で、自然な遠近感と最小限の歪みでポートレートを撮影できるため、すぐに私のお気に入りになりました。デュアルメモリカードスロットによりデータのセキュリティが担保され、貴重な思い出を保存するには必要不可欠です。将来は、X-T5やX-H2といった富士フイルムのAPS-Cラインアップと共に、GFX100S IIをウェディングのメインカメラとして活用することを想定しています。

控えめな始まりから今この瞬間までの旅を振り返ると、私の写真家としての道を決定づけた進化と成長に心を打たれます。引っ込み思案な性格がもたらす困難を切り抜けることから業界の偏見を克服することまで、その一歩一歩が立ち直る力と情熱の証でした。世界中を旅し、さまざまな相の形を記録し続ける中で、富士フイルムとのパートナーシップは革新と品質への取り組みを強調するものです。GFX100S IIやGF55mmF1.7 R WRレンズなどの最先端のツールを使えば、一瞬の出来事は時間を超越した記憶として永遠に残すことができます。私の写真が、私がいなくなった後もずっと残り、家族の大切な家宝になると実感することは、非常に意味のあることです。それは、人間の人生という継続的な物語に控えめながらも意義深く加わっていきます。