2019.11.01 Toshimitsu Takahashi

Different Breed: 高橋 俊充 x X-Pro3

Toshimitsu Takahashi

1963年、石川県小松市生まれ。デザインプロダクション勤務を経て、1994年、高橋俊充デザイン室 設立。 アートディレクター、フォトグラファーとしての活動の傍ら、日々ドキュメンタリーを主体とする写真創作に取り組む。

【受賞歴】JAGDA年鑑・入選、日本APAアワード・入選、金沢ADC・会員特別賞受賞、金沢ADC・準グランプリ受賞、ほか多数。【作品展】1983年「FACE」、1985年「WHAT’S GOING ON.」、1993年「異人伝心」、2011年「SNAPS Italia」金沢・東京、2014年「SNAPS Sicilia」神奈川、2018年「SNAPS ITALIA」表参道、代官山。ほか出展多数。【写真集】2014年「Sicilia Snaps 2013」、2018年「SNAPS ITALIA 2010-2017」

能登。X-Pro3 と辿る。

様々な歴史や文化を持つ能登。穴水を越え奥能登に一歩足を踏み入れると、そこには日本の原風景を見ることが 出来る。特別風光明媚かというとそうでもなく、何気ない風景、景色がひとつひとつが懐かしい。 そして能登は、私が愛し撮り続けているイタリア、特にシチリア島にイメージが重なる。日本海に突き出た半島 は海に囲まれ、外浦では大陸の風を受け、内浦に入れば一転、凪の穏やかな景色と変わる。 風の強い外浦、珠洲には塩田が連なり、シチリア、トラーパニにも塩田が広がる。製法こそ違え、海と風があれ ば、そこには塩は生まれると言うことだろう。さらにシチリアには「NOTO」という町がある。特に繋がりはな いと思うが、なにかの縁を感じざるを得ない。

X との出会いは X-Pro1 からだった。X-E1、X-E2、X-T1、X100…と、X と共に歩き捉えたイタリアでの日々。私にとっ て多くの想い出と、そこから生まれたかけがえのない作品は数知れない。

Sicilia Cefalu 2013, X-E1 / ZEISS Touit 2.8/12

Sicilia Catania 2015, X-T1 / XF35mm F2 R WR

Plocida 2017, X100F

X の中でも、Pro シリーズは私にとっても特別な存在である。Pro1 から始まり Pro2 になってその完成度は上が り、正直、写真を撮るという事においてこれ以上求めるところがなかった。そして今回手にすることとなった X-Pro3。正面からのルックスはほぼ変わらないものの、後ろを向けて驚いた。液晶がない…。 通常、新機種には使い勝手の向上や、さらなる性能を求めるものだが、機能に関してはマイナスの思考なのだ。 さらに十字キーも無くなっている。非常にすっきりはしているもののどうなのか。 液晶に関しては、開けば見えるというものの、普通に考えて、液晶が閉じている事によるアドバンテージは無い ように思える。写真を撮る事への原点回帰と考え、実際使ってみるとその答えは見えてくるのだろう。なにか、 これまで以上に不思議な期待に胸を膨らませながら、能登へと出掛けた。

熱狂のキリコ祭り。X-Pro3 と二本のレンズで捉える。

能登の夏は、祭りの夏とも言える。毎週のようにあちこちで勇壮なキリコ祭りが繰り広げられているのだ。能登 町矢波にある「民宿ふらっと」。能登に魅せられたオーストラリア人、ベンジャミン・フラットの営む宿。その 日は丁度、年に一度の矢波のキリコ祭りの日。能登には祭りの日に「ヨバレ」という風習があり、親しいゲスト に祭り料理をもてなし、ともにキリコを担ぎ、町は一つとなるという特別な日だ。
レンズは XF35mmF1.4 R と XF16mm F2.8 R WR の二本。キリコの中に滑り込むように入り撮影した。こう言っ たときにはコンパクトで強靱なボディは頼りになる。AF に関してはかなり暗い状況でも合焦すると聞いていた が、暗闇の中、あばれるように動き回る男達の姿を、なんの迷いも無く捉える事が出来た。特に XF35mmF1.4 R は X-Pro3 によってなにか別のレンズに生まれ変わったかのように思えた。

微かな光の中で。

輪島市門前にある總持寺祖院。早朝 4 時。まだ外は暗い。起床をつげる鐘を持って一人の雲水が走る。朝の勤 めが始まる時間だ。薄暗い僧堂の中は、張り詰めた空気が漂っている。シャッターは電子シャッターにし、無音 とした。ここでも X-Pro3 の AF は力を発揮する。暗い僧堂だが、ファインダーを覗けば EVF のコントラストも 非常に高く、明るい。微かな光の中、ただひたすら坐禅をし心を集中させる雲水たちの表情を、気持ちよく捉え る事が出来た。

伝統工芸である輪島塗の制作現場や、七尾の醤油蔵、珠洲の塩田など、様々なところへ足を運んだ。行く先々で 感じたのは人のやさしさだった。大沢の漁港で出会った老人たちは、気軽に話しかけてくれ、腰を下ろして話し 出そうものならもう止まらない。代わる代わると話しかけられ、気がつけばもう陽が沈みそうである。なにか、ゆっ くりと時間の流れているシチリアを思い出させてくれるものだった。

今回も多くの出会いがあった能登。あらためてその人の魅力を感じる事が出来た。

X-Pro3 から感じる、ファインダーへの思い。

背面液晶が閉じている事で、まず撮影をするのに必然となるのが、ファインダーを覗くという行為である。 私自身、写真を撮影する時はほぼ 100% ファインダーを覗いて撮っている。背面液晶を使ってのローアングルや ハイアングル撮影などをすれば、目線と違う面白いフレーミングが出来たり、それこそノーファインダーで撮っ たりすれば、相手に気づかれず思いも寄らないショットも撮ることが出来るかも知れない。 しかし、自分の作品として撮る写真は、ファインダーを通して自分の目線で被写体と向き合いたい。大げさな言 い方になるが、それは撮らせてもらう被写体への敬意でもある。 写真は自分だけのものでは無い。相手のものでもある。
X-Pro3 は、液晶を閉じることで、その事を気づかせてくれているのだろう。

純粋に写真を撮る喜びを、思い出させてくる。

不思議な期待を持って出掛けた X-Pro3 との旅。 背面液晶が閉じていることによって、例えばメニュー操作など、それなりに不便を強いられるが、実際、慣れて しまえば大した問題ではなかった。それよりも様々な情報を閉じている事によって、写真に集中出来る。プレ ビューも「見れない」という思いから、「見なくて済む」という気持ちに変わる。プレビューをチェックしてい るくらいなら、次の一瞬のためにファインダーを覗き、シャッターに指をかけている事の方が大切だと感じるの だ。

正直、これは万人に薦められるカメラではないと思う。それはもちろん悪い意味ではなく、誰にでも薦められな い特別な存在になった気がする。チタニウムボディの質感、手触り、そしてカメラとしてのフィーリングなど、 ものづくりの心が強く込められている。これらの魅力を感じられる人だけが手にするカメラじゃないだろうか。 よく写るカメラは沢山あれど、「このカメラで自分の写真を撮りたい」と思えるカメラはどれだけあるだろうか。 X-Pro3 はまさにそう思える一台になった気がする。