2019.11.01 Mário Cruz

Different Breed: マリオ・クルス x X-Pro3

Mario Cruz

1987, Lisbon, Portugal
Mario Cruz studied Photojournalism at Cenjor - Professional School of Journalism. In 2006 he started to cooperate with LUSA – Portuguese News Agency / EPA – European Pressphoto Agency. Since 2012 he’s been focused on his personal projects dedicated to social injustice and human rights issues:  “Recent Blindness” - Winner of Estacao Imagem 2014 Award
“Roof” - Winner of Magnum 30 Under 30 Award
“Talibes, Modern Day Slaves” - Winner of World Press Photo 2016 - Contemporary Issues - 1st Prize Stories;                                                 - POYi 2016 - Issue Reporting Picture Story;                                                - Winner of Estacao Imagem 2016 Award His work has been published in Newsweek, The New York Times, International New York Times, Washington Post, CNN, El Pais, CTXT and Neue Zürcher Zeitung.

Roofプロジェクトへの道

物心がついてからずっと、フォトグラフィーの力が私の心をとらえてきた。
フォトグラフィックな表現は無限の可能性に満ちた海であると、私は常に感じていた。言葉ではなくイメージによって自分自身を表現すると、とても心地よく感じられる。

フォトジャーナリズムは物事の見方を変えられると同時に、解決の原動力ともなりうることに気付いたとき、ドキュメンタリー・フォトグラフィーこそが、私が一生をかけて追い求めるべき道であることが明確になった。

隠されたテーマや見逃されているテーマに意識を向けるために必要なツールと自信を手に入れるまでに、数年間を要した。私の作品は、私が何者であるかを示す。私にとっては、作者としての自分を明確に定義することが重要である。なぜなら、私が他の写真家の作品を見るときに着目するのがその点だからだ。

また、フォトグラフィーの特殊性や作者のビジョンの独自性も、ストーリーテリングに対する私の関心を高めることに大きく貢献した。

過去数年間、私をストーリーに駆り立てる強い力が、それ自体のプロセスであることに気付いた。同じストーリーは一つもなく、人々はそれぞれ個性的で、条件も異なり、リスクも多種多様だ。しかし、これら全ての状況において存在するのは、私の概念的なプロセスである。そしてこの数年間、私はこれをますます重視するようになっている。

ある通信社での日々の配信作業に飽き飽きしていたときに、『Roof』はスタートした。私は道に迷っていた。このプロジェクトでの写真撮影を始めるまでには、長い時間がかかった。なぜなら私は初めて、自分自身をさらけ出すことになったからだ。しかも私は、自分が生まれ今も住む街の、ドラマティックな現実を撮影していた。だから、私とは全く異なるが私のすぐ近くにいる人々の生活を記録するのは、本当にとても重要な経験となった。また時には、同じ場所でパラレルな人生を生きているような感覚に襲われた。

メディアに対しては強い憤りを感じた。ポルトガルの危機に関する国内外のマスメディアの報道内容は、私が目の当たりにした事実とは正反対だった。デモと政治は、危機の一部に過ぎない。危機がもたらした影響は、もっと深刻である。壊滅的な結果となることも珍しくない。

私は、リスボン市内の荒れ果てた場所の多くで、生命の兆しがあることに気付き始めた。
閉鎖された工場へと続く小道。未完成の建物の、板で塞がれた窓。扉に南京錠が掛けられた、さびれた村。

これらの奇妙な状況は私の興味を引いた。私はすぐにこの街の地図を作ることにした。観光地図とは全く異なる地図を。

私は1年以上を費やして、この地図を作成するとともに、これらの場所でどんな人々が生活しているのかを知ろうと努めた。実際の出来事を記録し始めるのはその後だ。その作業は複雑で、心身を疲弊させ、時にはフラストレーションさえも感じさせた。それでも、文字通り瞬く間に生活を失った人々に近づくために、このアプローチは私にとって必要なものだった。私が撮影した人々の多くは見落とされ、家や仕事さえも失ったことを彼らの家族ですら知らなかった。これは私の思い違いかもしれないが、ポルトガル人は自らが抱える問題を隠す傾向があり、たとえ悲惨な境遇で生きていても、自分を少しでも良く見せようと常に努力する。彼らの生活に関わるようになった私は、危機がもたらした露骨な現実を明るみに出すことができると感じた。このような現実を、一般市民は目にしてこなかったし、(正直に言えば)ほんの少し考えることさえしてこなかった。

リスボンとは思えないような場所で生き延びる若者たち、老人たち、家族、そしてカップルに私は出会った。その当時住んでいた家からわずか5分の場所でこのような現実を写真に収めた私は、全ての隣人が私と同じように生活しているわけではないことを悟った。
私にとって重要だったのは、隠蔽、無名、そして拡散という感覚を、このプロジェクトに持ち込むことだった。これらの人々が新たな住処を見出したのは、荒れ果てた危険な場所だった。この現実も、作品のコンセプトに寄与した。

言うまでもないが、写真の撮影を始めるのは難しい作業である。
ほぼ1年間を、知り合いになった人たちを定期的に尋ねることだけに費やした。その後になってようやく、私は彼らの撮影を始めた。このようなプロセスは、通信社で働いていた頃の私の仕事のやり方とは正反対だった。したがって、私にとって全く新しい体験となった。カメラでさえそうだ。私はこのプロジェクトを、FUJIFILM X-Pro1とともに開始した。その頃には、X-Pro1は私にとって最高の相棒となっていた。派手とは正反対の、ある意味で非常に地味なカメラだ。

正直に言えば、私がカメラで気にするのはほとんどその点だ。控え目で、私の目に映るものを最もシンプルな方法で捕らえる性能を有していなければならない。
写真を撮影している間、私は心底生きているような感覚を改めて覚える。

止める必要があると私が感じたとき、作業は中断される。また、ポルトガルで選挙があったり新政権が選ばれたりする際も、作業を中断する。作品はニューヨークタイムズで公表され、そのため国内で注目を集めた。私が被写体にした人々の一部は、自らの生活に再び変化が起きることになった。ただし、今回は良い方向への変化だ。様々な形で支援を受けられるようになったのである。一部のケースでは、新しい(しかも悪くない)家を手に入れられるほどに、人々の生活が一変した。

その後数年間、私は2つの異なるプロジェクトを進めた。セネガルとギニアビサウでの『Talibes Modern Day Slaves(タリベ、現代の奴隷たち)』と、フィリピンでの『Living Among What’s Left Behind(取り残されたもの中で生きる)』だ。
どちらのプロジェクトもX-Pro2で撮影した。どちらも行動を求め、私たちの集中を要求した。

私は自らの恐怖と向き合うために、絶えず自分自身に挑戦すべきだと感じる。そして私はなぜか、人目を引かないものに惹かれる。フォトグラフィーはあらゆる場所に存在するべきだと思う。だから、変化をもたらすことができる場所にこそ、フォトグラフィーは確かに存在しなければならない。

2019年となった現在、ポルトガルでは再び選挙が行われ、将来に対する見方も一新するだろう。私は、危機とその影響が本当に過去のものになったのかを確かめるため、Roofプロジェクトに立ち返ることにした。

悲しいことに、問題がまだ続いていることはすぐに分かった。

ポルトガルの危機を解決する上で、観光業は非常に重要だった。ところが住宅市場が(特にリスボンで)急騰した。ポルトガルの首都リスボンが欧州屈指の人気観光地となるにつれて、ますます多くの人々が自らの家を離れ、荒れ果てた土地で生活することを余儀なくされるようになった。

私が撮影した人々の多くは、仕事はしているものの、家を借りるには(場合によっては部屋を借りるにも)不十分な、最低賃金しか得られていない。

経済指標が景気の拡大を示す最中でも、取り残される人々は必ず存在する。しかし現実には、取り残されている人があまりに多すぎる。働く人々、諦めない人々、そして瓦礫の中で暮らす人々が、真新しいホテルのすぐそばに存在するのだ。

人々は生きることができ、また生きていかなければならない。住むには適さないような場所を、新たな住処にせざるを得ないのだ。
フォトグラフィーの観点から言えば、これは出発点となったプロジェクトへの回帰である。

X-Proシリーズの進化とともに、私のフォトグラフィーも進化した。しかし私が求めるものは少しも変わっていない。X-Pro3はさらに控え目に、シンプルに、そして静かになった。まるで人知れない存在のようだ。これは実に正しいツールだ。今や、カメラと自然に結び付き、フォトグラフィーは当たり前のように、コミュニケーションの中心的存在となる。

私たちはただ、実現しうるベストな方法で、X-Pro3を使用すればよい。