2019年は富士フイルムとともに過ごし、出会い、楽しみ、食事が凝縮された感慨深い一年だった。
始まりは、ドイツのケルンで開催されたPhotokina 2018。 富士フイルムは、この世界最大規模のカメラの祭典でかつてないほどの存在感を示していた。 私は、X-H1で撮影したドキュメンタリー映像「Forbidden Tattoos」についての講演をするために招待されていた。 富士フイルムが世界中のXフォトグラファーを大規模なイベントに招待するのは「伝統的」。他のXフォトグラファーと交流する機会があるのも楽しみの一つだ。
イベント後に開かれたレンガ造りのドイツ料理レストランでの食事会で、クニオは私の隣に座って「映画を作らないか?」と話しかけてきた。
「写真家が世界中を旅して他のXフォトグラファー達を訪問するんだ」と彼は言った。 「撮影はパレで、写真家はミンディ」とクニオは続けた。 デンマークの写真家と私がたまたま並んで座っていたから、そのようなアイデアを思いついたのだろうか? 群衆からの騒々しいおしゃべりが私たちの会話をもみ消した。 私たちは、彼がどこまで本気なのか?その週の活動によって突然の考えが引き起こされたのか?または言語の隔たりで見当違いな解釈をしてしまっているのか?その当時、彼の発言を信じきれていなかった。
それが2018年9月。
その3か月後、東京での打ち合わせへの招待状が、シンプルで短いメールとして私の受信トレイに届いた。 パレも東京へ向かうらしい。 静かに、プロジェクトが動き始めた瞬間だった。
自分がチョコレート工場のチャーリーになるなんて想像できただろうか?
富士フイルムのドアが開放され、オールアクセスパスをもらい、今まで聞きたかったことすべてを聞くことができるなんて?
大手のカメラメーカーが、一人のシンガポール出身の女性写真家である私をそこまで厚く信頼してくれることがにわかに信じがたい。
私の役割は脚本とナレーション。リサーチにも必然的に時間を費やした。 スチルの撮影も請け負った。 ロケのスケジュールや、写真家との日程調整、フライトの手配、パレと二人分の現地でのホテルや移動手段などやることはたくさんあった。 ありがたいことに、クニオと彼のチームメイトであるユウトとトシヤが、日本でのアレンジをヘルプしてくれた。
9か月の間に、撮影とインタビューのために、西オーストラリアのニューマンとマーブルバー、ドバイ、パリ、モントリオール、シンガポール、マニラ、デンマークのオーフスとコペンハーゲン、英国のマルムズベリー、日本の東京と大阪へと世界中を駆け巡った。
長旅だったが、それだけの価値があったと思う。