初めてGFX 50Sを触ったのはドバイで開かれたGPPフォトウィーク。写真家・Zack Ariasがトークショーでお披露目した時だ。私は、小柄で変形性関節症持ち。カメラのサイズと重さに日々限界を感じていたので従来の中判カメラよりコンパクトで軽量なボディGFXにとても興味を持った。ただその時は、数分間触って、Zackに嫉妬する位しか私にできることはなかった。
それから数か月後、私にも試作機を試す機会が訪れた。GFXが届いた初日に説明書を読もうと計画を立てた。私はそういうタイプの人間だ。「新しいカメラを試すのは写真家にとって楽しい」ときっと多くの人は思っているだろう。だけど、実際は、その反対。不慣れなカメラを使いこなすために全てを一から学習しなければならない。それは、スニーカーと靴擦れの関係に似ていると思う。スニーカーはレビューでとても高評価を獲得しているかもしれないけど、自分の足になれるまでは靴擦れの心配がある。それと同じで、カメラにも慣れが必要だ。写真家にとって大切なのはカメラではなく、被写体。被写体と向き合って写真を撮るからだ。
実際に色々と試して気付いたことは、GFXの操作性はXシリーズと同じという事。私のワークフローにどうフィットするか知りくなったので、説明書は読み飛ばして早速試し撮りをすることにした。メニュー画面はカスタマイズできるので、自分好みに設定を変更できる。カメラを一から学び直す必要もなかった。今回の撮影現場は、トレヴィーゾとヴェネツィアの中間に位置する19世紀半ばに建てられたFilanda Motta工場跡地。自然光と人工光両方を使ってこのカメラを試したかったのと、汚してもいい環境を必要としたのでこの地を選んだ。それに、クローズアップショットもスタジオよりもロケのほうが楽しい。必要なライティング機材とカメラさえあればどんな場所でもスタジオ化することができる。
今回の撮影イメージを事前にチームと共有して、どのように撮影を進めるべきか打ち合わせをした。最終的には私のビジョンと責任の下撮影が行われるわけだが、こうやって共通の目標にチームで取り組むのが私のスタイル。私の思い描くビジョンを共有しないとみんなも十二分に力を発揮できない。良い写真を撮るためには、良い仲間に恵まれることが何よりも大切。例えば、今回は自然な質感を演出したかったので、メークアップアーティストのChiaraは粘土と小麦粉を使うことで、私のビジョンを創りあげてくれた。
大判センサーはディテールをしっかりと捉える。思い通りに撮れているか確認したかったので、多くの時間とバッテリーパワーを撮影後の確認に費やした。それこそ何回も拡大表示しながら。多くのフォトグラファー達はそんなことを撮影中にしないだろう。シャッターを切ったらすぐに次の写真に取り掛かる。私から言わせてもらえば、大切なステップをスキップしてしまっていると思う。
ライティングは必要最低限にとどめた。人工光を使ったのもその日はどんよりとした曇りでISO800で撮影をしたかったから。実際に撮った写真を見て、中判カメラの威力を目の当たりした時には驚きを隠せなかった。
テザーで撮影したけれど、カメラの背面モニターでイメージをチェックするのも非常に簡単で使い勝手が良かった。タッチパネルなので、操作が楽だ。フォーカスピークハイライト機能も重宝した。ピント位置をすぐに確認できる。背面モニターをチルトできるのも良い。無理な姿勢で覗き込むこともなくなるし、お互いの眼を合わせることが出来るのでモデルとコミュニケーションも容易になる。
電子ビューファインダーもタイムラグがなく、シャッターを切るタイミングがクリティカルな時にも撮影に支障をきたすことなかった。
撮って出しのJPEG画像が素晴らしいことについても述べておきたい。富士フイルムのフィルムシミュレーション機能が優れている。もし、クラシッククロームを私の眼にインプラントできるのならばやってみたいと思うくらいだ。
写真を撮るだけが私の仕事ではない。写真が最後はモノとなって初めて完成する。中判サイズのおかげでかつてないほど緻密なディテールを得ることが出来る。それは、今回のプリントした布生地にもしっかりと写し出された。
写真を色々な角度から見ることで、新しいアイデアを思いつく。探究する度合いによってその結果も異なってくる。きっかけはデザインだったり、思い付きだったりいろいろだ。
ただ、その思いついたアイデアを実現できるのはGFXの緻密で膨大な情報量のおかげ。それがあるからこそ、いかなるサイズでどんな素材でも私の思い描く最終成果物を実現することが出来る。