”誇り”という言葉には、実に美しい響き、不思議な魅力があります。
何の比較も前提とせず、何かを否定することもなく、ただ価値の存在を伝えます。
その背景には、みずからのみが知る根拠があるのですが、決してそれを喧伝するような野暮さとは対極にあります。しかし、確かに価値を成立させる拠り所となっているのです。
プロフェッショナルには、こういった”誇り”が大切なのではないかと感じるときがあります。とくに写真は選択することによって成立する芸術ですが、その選択に自らの価値基準・誇りなくしては、写真のプロフェッショナルたりえないのではないでしょうか。
FUJIFILMは、X-H1というカメラを今回発表しましたが、そこで起用された写真家達へのリクエストが本写真展のタイトル ”Proud of(=誇りに思う)” でした。
本企画展ではルポルタージュを専門とする3名(Arturo Rodriguez, Mindy Tan, Klaus Bo)の作品によって構成されています。ルポルタージュは一般的には”取材を通じての事実を客観的に叙述すること”とされています。たしかに”客観性”を欠いたものでは、伝達すべき事実とはならないでしょう。
しかし、単なる事実の羅列、客観の集合も、やはりルポルタージュたりえません。マグナム・フォトに所属する写真家Antoine d’Agataは”写真は、答えではない。問いかけだと思う”と言いました。ルポルタージュ作品には、伝達するだけでは終わらない情報として、作家の意思が内包されているように感じます。
Arturoは生まれ育った土地の伝統行事を、Mindyは禁忌としての刺青を、そしてKlausは長く取り組んでいるネパールにおける信仰をルポルタージュしています。
彼らの作品に、何か極端な部分は見受けられません。しかし静かに、そして強く彼らの意思が感じ取れます。それは彼らの”Proud of”とする部分に他なりません。