写真撮影と”眼”に関することばは、非常に多くの残されています。
それは、メキシコの巨匠マヌエル・アルバレス・ブラーボの”写真家の主な道具は自分の眼です”、であったり、マグナム・フォトのメンバー、エリオット・アーウィットの言う“私にとって写真とは観察の芸術だ。”というものであったり、枚挙にいとまがありません。
いろんなカメラが開発され、いろんな画角のレンズも開発される。そして、いろんな撮り方・技法の研究が進みますが、写真撮影はシンプルなところ何を見ているかに終着するのかもしれません。シャッターボタンを押すよりも先に行われている行為は、どこを見ているかであり、見ていないものを撮ることはできません。
また撮れていないものは、あとから付け足すことは絵画のアプローチであり、写真撮影とは違うものでしょう。
自分の目の前にあるものにきちんと対峙すること、自分がどう見ているかをカメラを通じて伝達すること、そういった作業をするにはX100のような単焦点のカメラは理に適っているようにも思えます。